日本租界(旧日本人居住区)

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魯迅と内山完造が文学を語らい、金子光晴が気ままに歩いた戦前の日本人街で、ゆったりと文学散歩を楽しもう。

こんにちは、上海ナビです。
皆さんは、戦前の上海に10万人とも言われる数の日本人が暮らしていたことをご存知ですか? 当時は長崎からパスポートなしで上海に入れたそうで、詩人の金子光晴、上海に書店を開いた内山完造など、文化人も多く住んでいたそうです。芥川龍之介は、当時の上海の様子を旅行記に書いていますよね。谷崎潤一郎も上海を訪れていたそうです。古さと新しさが混在する上海の街は、今でも戦前に日本人が暮らした家や当時日本にちなんでつけられた地名が残っています。今日は、そんな戦前の日本を生々しく感じることができる旧日本租界地をご案内したいと思います。

日本租界基礎知識

現在は「日本租界」という呼び方が一般的となっているようですが、実はイギリス、アメリカなどが築いた共同租界のなかで、日本人の居住が多かった地域を指します。共同租界の一部ということですね。ここには数々の歴史が残されており、ドイツ軍の迫害から逃れてきたユダヤ人1万人以上を日本軍が保護したという歴史も残っています。また、魯迅、茅盾など、中国を代表する作家たちがここで日本の文化人と交流を深めました。
位置するのは、現在の虹口区。魯迅公園周辺です。地下鉄で行くなら3号線「虹口足球場」駅下車。ここから各見どころへは大抵徒歩で行くことができます。出かける前に、金子光晴著『どくろ杯』をぜひ読んでみてください。きっと、見える風景が変わってくるはずです。金子光晴は、自身の住んでいた四川北路から南京東路あたりまで歩いて移動していたよう。足に自信のある方はぜひお試しを。
虹口サッカー場。

虹口サッカー場。

四川北路。

四川北路。

魯迅公園。

魯迅公園。

日本租界を歩く

それでは、早速日本租界を見ていきましょう。中心となるストリート、スポットをいくつか挙げながらご紹介したいと思います。
<多倫路>
上海の市中心の道路は、割と碁盤の目のようにまっすぐに交わっている道が多いですが、虹口区は曲がりくねった道路が多め。多倫路も、四川北路を迂回するような弓なりの道です。ここは虹口区の主要観光スポットでもあり、当時この界隈に暮らしていた文化人の銅像が老房子(古い洋館)の合間に点在するお散歩ストリート。現在(2010年8月現在)は改装中のお店が多く、今後どんなオシャレなお店がオープンするのかナビもワクワクしてるんです。
通りに点在する銅像たち。
魯迅と仲間たち。

魯迅と仲間たち。

内山完造。

内山完造。

郭沫若。

郭沫若。

丁玲。

丁玲。

超モダン建築の数々。文化財に指定されている中華風のキリスト教会や、老房子をリノベーションしたユースホステルなど、自由に出入りできる建物もあるので、ぜひじっくり見てみて下さい。
多倫路には、小さな路地がいくつも入り組んでいます。なかでも味わい深いのは東横浜路。日本の地名がついたこの界隈ならではの路地で、今も庶民的な家々が軒を連ねています。木の手すりがあるベランダ付きの二階屋など、建物をよく見るとどこか和風で戦前の日本のトリップしたような気分になりますよ。
<余慶坊>
この地名を聞いてピンと来た方は金子光晴ファンなのではないでしょうか。彼の著書『どくろ杯』には、<日本書店の内山完造さんの店のすじむかいの余慶坊という一劃の入り口で、車を下りた。二筋の路地を、表と裏がむかいあって、支那風な漆喰の二階建長屋が続いている。入り口には、雑貨屋と、熱湯を沸して槽で売る店とが並んでいた>とあります。これは1928年の様子なのですが、実際に行ってみるとなんとそのまま! しかも、今も普通の民家として使用されています。当時は、この界隈に長崎からやってきた日本人が多く住んでいたそう。
<横浜橋>
余慶坊から四川北路を少し南へ行ったところには、日本の地名のついた小さな橋があります。偶然ついた地名のようで、「浜」とは中国語で水路のことだそう。当時はこの橋の欄干に腰かけて、魯迅が友人達と語り合う風景が普通に見られたそう。現在は、高層マンションと、当時から残る古い家屋が川を挟んで両方存在する不思議な風景を見ることができます。
<内山書店旧址>
先ほどの『どくろ杯』にも出てきた日本書を売っていた書店です。現在は中国工商銀行になっていますが、2階は記念館になっていて、無料で当時の資料などの展示物を見ることができます。銀行のスタッフももう慣れているらしく、日本人が銀行のエントランスを入ると展示室まで案内してくれます。ただし土日は休館とのこと。営業時間も銀行と同じで、3時に閉館します。
館内では、魯迅と内山完造の交流を中心に、当時の文化サロンであった内山書店の様子をパネルや資料で紹介しています。なかには、タタミの上でくつろぐ魯迅の姿も。当時の上海に和室を持つ家があったことも分かりますし、不幸な歴史を残した戦争が始まる前は、日本と中国の民間交流はこんなに楽しく充実したものだったのだということが分かり、ちょっぴり考えさせられてしまいます。
<山陰路>
内山書店から東にのびる道が山陰路。ここは、数100mの通り沿いに魯迅、茅盾、内山完造、尾崎秀実など、さまざまな人の旧家が点在している文化財ストリート。地名は日本の山陰が使われていますね。れんが造りのアパート群は、人びとの暮らしに溶け込みながらも歴史的建築物として保護されています。学校帰りの小学生や、くだもの屋に立ち寄るお年寄りなど、庶民的な風景を眺めたい方にもオススメしたいお散歩スポット。
<魯迅故居>
その山陰路の一角にあるのが、魯迅が晩年を過ごした家。宋慶齢、孫文、毛沢東など、上海には歴史に名を残した人の旧家がいくつかありますが、魯迅の家がいちばん質素で小さいのではないでしょうか。しかも、隣近所には普通に今も地元の人が暮らしている長屋のいちばん奥。庶民派と言われた魯迅の人柄が伝わってきます。ここでは、魯迅がそこで息を引き取ったベッドと布団なども見ることができます。
また、このエリアには、住宅地や道などに日本語の名前がついている場所がたくさんあります。ぜひ探しながら歩いてみて下さい。
いかがでしたか? 戦前の日本の雰囲気を体感したい方、文学散歩がしたい方、本当の意味での国際交流について考えてみたい方は、ぜひ旧日本租界を訪れてみて下さい。記念館や旧居などでは、お年寄りのスタッフが「ニホンジン?」と笑顔で日本語で話しかけてくれます。なぜそんなにやさしいのだろうと考えると、内山完造をはじめこの界隈に住んでいた日本人が愛されていたからだろうと思いました。一日ゆっくり散策すれば、上海という街の見え方が少し変わるかもしれません。
以上、上海ナビがお伝えしました。


記事登録日:2010-08-17

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スポット登録日:2010-08-17

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