上海獶太(ユダヤ)難民紀念館

Shanghai Jewish Refugees Museum上海犹太难民纪念馆

閉店・移転、情報の修正などの報告

迫害から上海へ逃れてきたユダヤ人たちの歴史を紹介。上海の近代史を知る上ではずせない博物館。

こんにちは、上海ナビです。
上海に来たからには訪れたい場所といえば、外灘や豫園などの有名観光地ですよね。でも、東欧やヨーロッパから上海にやってくる旅行者にとっては、もう一つ必見観光スポットがあるようです。それが今回ご紹介する「上海獶太難民紀念館」。日本人的には、上海とユダヤ人の歴史といわれてもピンと来ないかもしれませんが、実は両者には深いつながりがあるのだそう。早速出かけてみることにしました。

「上海獶太難民紀念館」に行こう!

12号線「提籃橋」駅1号出口を出ます

12号線「提籃橋」駅1号出口を出ます

「上海獶太難民紀念館」があるのは北外灘エリア。最寄り駅は地下鉄12号線「提籃橋」駅です。行き方は簡単!
出たところを左手へ進み、

出たところを左手へ進み、

すぐ右手の横断歩道を渡って、

すぐ右手の横断歩道を渡って、

長陽路を左に進むと建物が見えてきます

長陽路を左に進むと建物が見えてきます

矢印の書かれた部分が自動ドアになっています

矢印の書かれた部分が自動ドアになっています

この矢印の書かれたドアのなかにチケット売場があります。パンフなども揃っていて、係のおじさんは英語で対応してくれました。入場料は50元です(60歳以上40元、学生10元、身長130cm以下の子どもは無料)。
チケットとパンフ

チケットとパンフ

チケット売場左手に記念館があります

チケット売場左手に記念館があります


<上海とユダヤ人>
行く前にまず知っておきたいのは、1933〜1941年にかけてナチスの迫害から逃れたユダヤ人たち(約3万人)が上海にやってきたということ。現在の「提籃橋」駅エリアは当時日本の占領下にあり、日本がこの一帯を「無国籍難民限定居住区」と定め、ユダヤ難民をこの界隈に強制的に居住させました(記念館の資料による記述)。当時の在ウィーン中国領事館にいた何鳳山が上層部の命令に反してオーストリア系ユダヤ人に中国ビザを発給し続けたこと、また当時の上海港はどの国の人であれ自由に出入りできたことなども上海に難民が詰めかけた一因だったようです。
「上海獶太難民紀念館」は、上海に逃れたユダヤ人たちの暮らしを紹介する記念館。現在の形でオープンしたのは2007年とのことです。日本のガイドブックなどではあまり紹介されていませんが、ヨーロッパやロシア、東欧からの旅行者にとっては、上海で絶対行くべき鉄板の観光地なのだそう。いつ行ってもさまざまな国籍の見学者に遭遇します。
※中国語では、「記念」を「紀念」と表記します。
※館内での写真撮影は基本的に許可されています。

「上海獶太難民紀念館」で近代史を学ぼう

「上海獶太難民紀念館」では、英語と中国語による係員の解説ツアーを行なっています(約45分毎に1回スタート)。より深く知りたい方、係員にいろいろと質問してみたい方は、1号楼(オヘル・モシェ・シナゴーグ)1階で待ってみてください。始まる時間帯に係員が声をかけてくれます。もちろん、説明を聞かず自分のペースで見学することも可能です。
館内の展示物は中国語、英語、ヘブライ語の3カ国語表記

館内の展示物は中国語、英語、ヘブライ語の3カ国語表記

展示館は1〜3号楼まであります。博物館としてはこじんまりしていますが、パネルの解説などをじっくり見ながら進むとすぐに時間が経ってしまうはず。説明文は英語、中国語、ヘブライ語で表記されています。ナビと同じタイミングで入館してきたおじさんは東欧系の旅行者で、係員に「ヘブライ語のパンフはありますか?」と聞いていました。国際的な空間なのです。それでは以下、1号楼から見ていきましょう。

中庭側から見た1号楼

中庭側から見た1号楼

1号楼

1928年に竣工したユダヤ教会「オヘル・モシェ・シナゴーグ」を修復した文化財建築です。床のタイルなど当時のまま保存しているため、入館時にビニール製の靴カバーを付けて入ります。1階部分はユダヤ教会。イスラエルから上海の虹口区に贈られたタペストリーなどが展示されています。
ユダヤ教会です

ユダヤ教会です

訪れた人たちの感想ノート

訪れた人たちの感想ノート

資料の閲覧などができるスペース

資料の閲覧などができるスペース

2階はサロン的空間。各国の要人から記念館に贈られた品や、自由に閲覧できる資料、パソコンなどが置かれています。
戦時中の様子を展示

戦時中の様子を展示

3階はナチスのユダヤ人迫害に関する資料の展示館。アウシュヴィッツ強制収容所での様子、ユダヤ人たちの当時の様子などが写真や貴重な物品で紹介されています。
迫害されたユダヤ人たちの資料が展示されています 迫害されたユダヤ人たちの資料が展示されています 迫害されたユダヤ人たちの資料が展示されています

迫害されたユダヤ人たちの資料が展示されています


2号楼

2号楼

2号楼

1号楼を出て中庭を右手に行くと2号楼があります。こちらでは主に上海とユダヤ人の歴史を紹介。先ほど触れた何鳳山についてもここで紹介されています。その隣りには、「日本のシンドラー」とも呼ばれる外交官・杉原千畝の紹介パネルもありました。
上海とユダヤ人の関係の歴史を展示 上海とユダヤ人の関係の歴史を展示

上海とユダヤ人の関係の歴史を展示


3号楼

3号楼

3号楼

2号楼の向かいにある3号楼は、上海でのユダヤ人たちの生活について紹介しています。上海で出会った女性と結婚したユダヤ人、今でもお世話になった上海人と親戚のようなつきあいを続けている人など、心温まるエピソードがインタビュービデオや写真で展示されています。
ユダヤ人たちの上海での生活や上海人との絆を展示 ユダヤ人たちの上海での生活や上海人との絆を展示

ユダヤ人たちの上海での生活や上海人との絆を展示

3つの棟の真ん中にはカフェのある中庭が。カフェのカウンターの上には、当時のユダヤ人街にあった看板をそのまま使っているそうです。
当時のユダヤ人街にあったカフェを再現しています(実際にコーヒーなどオーダできます) 当時のユダヤ人街にあったカフェを再現しています(実際にコーヒーなどオーダできます)

当時のユダヤ人街にあったカフェを再現しています(実際にコーヒーなどオーダできます)

売店

売店

入り口脇には小さな売店がありました。主に書籍を扱っています。
子ども向けの本

子ども向けの本

紀念館のロゴグッズ

紀念館のロゴグッズ

館内の様子を動画でどうぞ

ここにも立ち寄りたい! ユダヤ人ゆかりの地

「上海獶太難民紀念館」の周辺には、当時のユダヤ人街、ゲットーが今も多数残っていて、今は住宅として使われています。もっとも有名なのは記念館のすぐ東側に延びる舟山路。欧風建築の長屋があります。かなり濃厚な下町感があるので、散策するだけでも楽しいハズ。ナビがカメラを持って歩いていると、住民のおじいちゃんが「昔この辺にはユダヤ人が暮らしていたんだよ。あの建物の写真も撮ったほうがいいよ。記念館にはもう行っただろうね?」など、いろいろと話しかけてきました。そんな雰囲気の住宅街です。
欧風の街並が残っています

欧風の街並が残っています

普通の上海人が暮らす庶民的な路地 普通の上海人が暮らす庶民的な路地

普通の上海人が暮らす庶民的な路地

舟山路を南に歩くと霍山路とのT字路にぶつかります。この左手にある建物は「アメリカ・ユダヤ人共同配給委員会(JDC)」として使われた建物。こちらも現在はアパートとして使われています。その向かいには「霍山公園」が。園内には記念碑があります。
旧JDCの建物

旧JDCの建物

霍山公園

霍山公園

霍山公園内の石碑

霍山公園内の石碑


「オークラ・ガーデンホテル上海」もサッスーン家ゆかりの建物

「オークラ・ガーデンホテル上海」もサッスーン家ゆかりの建物

<番外>
迫害がきっかけではなく、それよりももっと前に上海にやってきたユダヤ人もいます。それがディヴィッド・サッスーン。商人として上海で財を成した彼の一家が建てた建物は、今でも上海のランドマーク的建造物として使用されています。以下、こんな建物も上海とユダヤ人の歴史が作った場所なんですよ。
サッスーン家以外にも近代上海の歴史には多くのユダヤ人が関わっているそう。興味のある方はぜひ調べてみてください。

いかがでしたか? 知れば知るほど奥深い上海の近代史。しかもその現場には、まだ当時の面影を残す建物がそのまま残っているのです。上海の魅力って、日本の教科書には載っていない歴史に生で出会えてしまう場所がたくさんあることかも、とも思うナビ。ぜひ皆さんも「上海獶太難民紀念館」でもう一つの上海の歴史に出会ってみてください。
以上、上海ナビがお伝えしました。

記事登録日:2015-01-23

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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2015-01-23

利用日
女性 男性